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【人間を考える「建築学」との出会い】 |
建築学と出会ったのは、建築を専攻した大学時代。大学は三流やったけど、教授陣は一流。そこで教授から、建築というものはどういうものか、建築でもない、設計でもない、人間のいろいろな疑問に答える学問であり、人間を考える学問であるということを学んだんです。私にとっては子供の頃からの大きな疑問であった「私とは誰なのか」という問いにも、大学で答えをもらえた気がするね。建築学というのは「示唆する」こと。その考えを下にした私達の「建築業」というものが生まれてきたらありがたいです。
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【辰巳建設のいう「建築業」って
なんやろう?】 |
今思い付いた言葉を並べると、京都、木質文化、環境、自分の発見。そんなところですかね。
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まず第一の「建築業」とは何か? 本来の意味での「建築学」とは、人を深く考える学問です。いわば哲学に一番近い学問ともいえます。私はこの「建築学」というものを、新たな業態にしていきたいと考えています。
今後必要なのは、人と建物の関係を深く考察して新たに築き上げていく「建築業」という新しい業態なのではないかということですね。
これからの時代における建設業を考えたときに、従来型の「建物をつくる」だけの「建設業」ではなく、業態自体の変革の必要性を強く感じています。
従来型の「建設業」では、建物をつくるための図面が、いわば神様というか主体でした。どれだけ図面に沿って正確に建物ができあがっているかどうか、その点が重要だったのが「建設業」です。
しかし我々が考える新しい「建築業」では、建物を使う人が主体です。
まず人ありき。
できあがった建物に、使う人の意向がどれだけ反映されているのか、その人の人生にどれだけコミットしていけるものなのか。その点が重要なのです。
たとえば、器というものを建築するとします。
その器に入れる中身が、珈琲なのか、紅茶なのか、抹茶なのか。そこに何を入れるかによって器のかたちは異なってきます。器と中身の関係、それうまくマッチングさせることが「建築業」なのです。
住宅では、中に住まう人がどういう人間なのか、どういう生活をするのか、どういう人なのか、どういう好みなのか。その好みの差はなぜできたのか、その差違を考えて、住宅という器の建築を考える。
住まう人が、よりよい方向で使える方向を具現化できるのが「建築業」の目的です。
だから住まう人が、自分というものを見つめ直し、自分の好みがわかっていないと、客観的な判断ができない。そこを引き出すお手伝いをしながら、一緒に考えて築き上げていく。それが我々の考える「建築業」という仕事です。 |